バケツを使った水没採集 その4

−ブナ帯の採集は11月から?−

9月(その3)に報告したように、梅雨時分から夏過ぎまで、低地の川には落葉が無く、流れのハネカクシ採集はほとんど成果がなかった。

場所によっては、かろうじて、岸辺に溜まっている落葉や、水際の砂礫に水を浴びせて、少数の上翅に赤紋が出るLestevaが得られた程度だった。

最初に、水辺に特化したハネカクシの報告をした際(バケツを使った水没採集 その1)も述べたことだが、フタモンヨツメハネカクシなどの裸眼でも解るハッキリした赤紋が出るタイプは、主として岸辺の落葉中や石下に棲み、全体黒くて赤紋が目立たない種は流れに溜まった落葉に多いという印象があった。
秋も深まり、あるいは紅葉も色づき始めたので、10月下旬に、このシリーズその1で初めての採集を報告した、佐賀県脊振山系の寒水川へ出かけてみた。
しかし、この採集地は標高はせいぜい100m前後で、まだ、まったく秋の気配はなく、川の岸辺にも流れのハネカクシがいそうな落葉は見られなかった。実際、岸辺を水浸しにしても、Lestevaは見つからなかった。

それではと、山頂付近の谷川でも探してみたが、流れ落葉もハネカクシもまったく見つからなかった。この日は、山頂付近は13℃前後と気温も低く、谷川の水も清冽で、身を切られるような冷たさに手はかじかみ、この水温の水中・水面で、ハネカクシが活動できるのか心配になった。

今年は、春から5月までは、シイ・カシの落葉で、各地で行けば採れる状況が続き、特に寒水川や英彦山山系の山国川では、かなり多くの成果を上げることが出来た。
低地では4〜5月にシイを中心にした常緑樹が一斉に落葉し、この流れのハネカクシはそれらを利用していたに違いない。

時期的に、もう一度落葉が増える季節というと、紅葉に代表される晩秋の山地、つまり主として落葉紅葉樹林帯(ブナ帯)だから、きっと、流れのハネカクシも、その落葉を当てにしているに違いない。
流れのハネカクシの話をする際、人ごとにそう言ってきた。
ところが、脊振の結果では、落葉の時期には気温と水温が下がりすぎて、どうもこの説がハズレ臭い。このままでは、ちょっとまずい。

このブナ帯は秋仮説をなんとしても確認しておく必要があって、11月5日に黒岳まで出かけた。
当日は思った以上に暖かで、標高1000m近い男池周辺の林内でも16〜17℃くらいあったものらしい。

男池の入り口にある通称・男池橋脇から水辺に降りて、川を眺めた途端に、やったな、と思った。
当然の事ながら、流れ落葉が一杯溜まっていたのだ。

水に手を付けると、水温も高く、脊振の山頂付近の川とは5〜10℃くらい違い、15℃近くあったかもしれない。
これなら、ほとんどかじかむことはなく、水辺の虫も、あるいは厳冬期以外は活動できるかも知れない。
源流を確かめたことはないが、ひょっとして、この川の水は半分以上湧き水なのではあるまいか。湧き水なら、平均気温から考えて、10℃以下にはならないとも思われる。

さっそく採集に掛かる。
流れのハネカクシのねらい目は、流れの中にある、この多少とも水面から出た部分の多い塊がポイントで、それらの塊を水を張ったバケツに投げ入れる。

その上から水切りバケツを被せ、ギューッと押すと、水が勢いよく湧いてきて、表面に黒い点々が浮き出してきた。
ほら、見たことか、ちゃんといるじゃないか。
思った通り、確かに、流れのハネカクシは、ブナ帯では秋が本番のようだ。
仮説が真実になり、あちこちで広げた大風呂敷に実証の箔がついて、一安心と言ったところ。
しかし、気温の差なのか、暖かい春の虫ほど水面上で活発ではない。中に、水上スケートをする個体も少数いるにはいたが、大半は水面でモソモソもがくばかりで、動きが鈍い。

バケツの水面には、今まで採ったことのない、細長くてでかい、黒い種が多く、楽しみが増えた。
こいつは、どうもLestevaではなさそうだ。
想像通り、帰宅して調べたところ、小アゴ髭の形などから、どうも、ミズギワヨツメハネカクシ属 Geodromicusらしい。
(上:Geodromicus頭部; 下:Lesteva頭部)

 

この属は図鑑やWatanabe(1990)の総説ではPsephidonus属として解説されているが、最近の「河川と水辺の国勢調査」の目録や、柴田(2007)の個人的なリストでは、Geodromicus属として扱われている。

採れたミズギワヨツメハネカクシ属には、大型・中型・小型の3タイプが見られた。
中・小型には腿節の基部が赤褐色でツートンになったものと、一様に黒褐色のものが見られ、帰宅して♂交尾器を確認すると、確かに、足の色と♂交尾器の形がリンクしていた。
大型のは♀で、中型の♀とは、頭や前胸が広くて強壮なので、明らかに違うようだ。ということは、同じ落葉の中に、Geodromicusも3種が混棲していたことになる。
(上から、大型・中型・小型)

腿節が一様に黒褐色のものはWatanabe(1990)によるPsephidonus pusillus Watanabe(現在は、Geodromicus hermani (Watanabe)のシノニムに扱われている)であろう?
(Geodromicus hermani写真: 上から♂背面, ♂交尾器背面, 同側面)

腿節の基部が赤褐色のものは、同様に、Psephidonus nipponensis Watanabe(現在は、Geodromicus sibiricus Bernhauerのシノニムに扱われている)の♂交尾器が似ている。
(Geodromicus sibiricus写真: 上から♂背面, ♂交尾器背面)

しかし、分類の方もまだ安定していないようで、確実な同定はできていない。
大型のものは、♂が見あたらず、まったく特定できなかった。

それにしても、違うと言っても♂交尾器の差はごく僅かであるので、この仲間の区別も難しそうである。

男池橋から少し下流に、川の真ん中当たりまで堰を作りかけたような石積みがあり、おあつらえ向きに多くの落葉が溜まっていた。
今回、流れのハネカクシが最も密度が濃かったのはこの場所で、そこだけで、20個体以上採れたように思う。

こうした流れのまっただ中にある落葉の方が、最初の岸辺に接して溜まった落葉より、黒いハネカクシの密度は高いようだ。
いたのはほぼ半数がGeodromicus属、そして残りがLesteva属であった。

バケツ採集で得られたハネカクシのうち、Lesteva属の方は、中・小型種のみ。
小型のものは上翅赤紋がハッキリして足が赤褐色になる。♂交尾器などからも、Watanabe(1990)のフタモンヨツメハネカクシ Lesteva fenestrata Sharpに良く合う。
(フタモンヨツメハネカクシ写真: 上から♂背面, ♂交尾器背面, 同側面)

中型種のうち、上翅赤紋がぼんやりあり、腿節の基部も赤褐色になる種は同様にLesteva nipponica Watanabeの♂交尾器と似る。
(写真: 上から♂背面, ♂交尾器背面, 同側面)

最後に、ほぼ全体黒く、上翅に赤紋が見られないものは、ムモンヨツメハネカクシ Lesteva crassipes Sharpに似るが、♂交尾器がもう一つ一致しない。(写真: 上から♂背面, ♂交尾器背面, 同側面)

どちらにしても、Lesteva属も3種採集できた。
黒岳での流れのハネカクシ全部の写真は以下の通り。合計6種で90頭余り。これで、2時間ほどの成果である。

3時が過ぎて日が陰ってきたので、早々に切り上げて、九酔渓に降りる。
途中、道路脇に、岸壁を伝って、大量の水が流れ落ちている場所があり、散乱している落葉も半分が濡れている。

 

ピンと閃いたので、車を止めて、落葉をかき集め、水バケツの中に沈めてみた。
数は多くなかったが、確かに、Lestevaはいた。当然のように、ミズギワハネカクシ属は見られなかった。
ここで見られたのは上翅に赤紋が見られるもの3種と、ぼんやり見える1種の計4種、すべて岸辺で見られるタイプであった。
(Lesteva lewisi♂背面, ♂交尾器腹面, 同側面)

(Lesteva gracilisの近似種♂背面, ♂交尾器腹面, 同側面:中央片が中央から先端まで、より細長い)

(ムモンヨツメハネカクシ近似種♂背面, ♂交尾器腹面, ♂交尾器側面:側片先端が内側に強く曲がる)

(Lesteva distincta♂背面)

落葉と流れる水があれば、ヨコエビやトビムシなど、ハネカクシ類の食料になりそうな生き物が住んでおり、これらのハネカクシも住めるようだ。
色んな可能性が考えられるので、様々な環境で、落葉と流れる水のある場所を探してみたい。

ところで、♂交尾器を取り出しながら思ったのだが、Watanabe(1990)などでは、側方に矢筈状に付属するパラメラ(側片)が付いている面がVentral view つまり、腹面と表示してある(図鑑の説明も同様である)。そのため、以上の説明でもそれに従っているが、腹部から取り出す際、あるいは、死んだ状態で♂交尾器が露出している場合も、ほとんど側片が付いている面が背面側にある。
改めて、腹部を解剖して調べてみたところ、やはり側片の付いている側が背面にあり、メディアン・ローブ(中央片)は腹面側にあって、先端は背面側に向かって湾曲していた。
この配置と湾曲のぐあいは、交尾のやり方を規定しており、多分、流れのハネカクシでは、一般の甲虫に見られる、♂が♀の上に乗る馬乗り型ではなく、お尻とお尻をくっつけ合う逆向き型の交尾型であろうと想像している。
(上: 馬乗り型; 下: 逆向き型)

♂交尾器の背面・腹面の判断は、腹の中にある状態を標準に決めるのが普通だと思われるが、ハネカクシでこの呼び方が逆転しているとすると、何か意味があるのだろうか?
ハネカクシ屋さんからご教示いただければありがたい。

蛇足ながら、ハネカクシとは関係ないが、これらのバケツ採集を通じて感じた別のグループのヒントを2つ。
結構珍しいと思っていたマルガムシ Hydrocassis lacustrisが流れの中の落葉なら低地から山地まで、どこでもいるということ。
ほとんど普遍的な普通種のようで、日本中の上流域の水系に分布するのかも知れない。

それから、その3でも示したように、流れのハネカクシの採集で、かなり高頻度でジョウカイボン科の幼虫が得られること。
ベショベショの水浸しの落葉から中型の幼虫が見つかる。
環境や標高などから、フチヘリジョウカイ Lycocerus maculielytrisやクロホソジョウカイ Lycocerus aegrotusなどが怪しいが、ジョウカイ類の幼虫はまったく研究されていないので、種名を確定する材料がない。あるいは、飼育すべきかも知れない。

経験上、ジョウカイボン科の小型の幼虫は普通の落葉下から採集されるが、ニシジョウカイボン Lycocerus luteipennisを始めとした大・中型の種は、湿地・水辺、今回の水上など、より水に近い環境に棲息しているようで、ジョウカイ類と水の関係は、今以上に強調されるべきなのかも知れない。