松永善明氏のお葬式

6月30日早朝、電話のベルが鳴った。
ボーッとしながら電話に出ると、「松永ですけど・・」との女性の声。

「今日午前三時に松永が亡くなりました。」との声で、ようやく事態が飲み込めた。
「ご愁傷様です。」と言ったが、後の言葉が出てこない。

しばらく、無言の時間が過ぎて、電話は切れた。

北九州門司のカミキリ屋、チョウ屋として知られていた松永善明(よしあき)さんが、亡くなったという知らせだった。

カミさんに話をすると、「お葬式に行かなくていいの?」と言われ、昨日・今日は、大雨警報が出て大荒れの天気であるが、予定はあいてるし、少し考えて行くことにした。

改めて奥さんに電話して葬儀の日時を聞く。翌日11時らしい。

松永善明さんは、私が1970年に虫を始めて以来、大阪豊中の水沼氏に次いで、2番目に出会った虫屋さんである。

1970年の7月30日、鳥取の伯耆大山の、大山寺から横手道への道をカミキリを求めてさすらっているとき、小太りの叔父さんが、華奢な女の人連れでネットを振り振り近づいてくるのが見えた。

こちらはカミキリ屋1年生で、聞いてみると松永さんも本来はチョウ屋だが、面白そうなので、カミキリを始めたばかりだと言われる。

すっかり意気投合して宿に押しかけ、カミキリ談義に花を咲かせた。

それから、お互いに持っていないカミキリをやり取りし、採集地などの情報交換をし、と虫屋のつきあいが始まった。

直後に送っていただいたカミキリが、ヒゲナガゴマフ、ヤノトラ、フタオビミドリトラ、ホシベニ、ヒメヒゲナガ、アオバホソハナ、クビアカト、ラミー、タカサゴシロ。
このうち、7種は持っていなくて、喜んで礼状を書いているので、ほんとの駆け出しである。

私の実家は長崎県島原市で、当時、京都の立命館大学に通っていたので、門司はその中間点。
帰省の行き帰りに時折門司で途中下車し、何度かご自宅にお邪魔し、カミキリの話に夢中になって泊めて頂いた。

1973年2月には、日田彦山線と久大線、そしてバスを乗り継いで、一緒に、見つかったばかりのムモンベニカミキリを求めて、九重の飯田高原に出かけた。

享年82才ということなので、出会った39年前は43才、奥さんとはかなり年が違い、まだ、新婚のような感じだった。
お二人で、山を歩かれている様はなんとなく微笑ましく、好ましく感じられた。

聞いた話によると、松永さんは朝鮮生まれで、戦後は米軍で通訳の仕事をされていたらしい。
その後特技を生かされて、当時は塾の英語の先生をされていた。

朝鮮時代にチョウを始められた関係で、朝鮮のチョウにあこがれをもたれていたようで、韓国での採集が可能になると、知人等のつてを頼って、韓国北部の山に採集旅行に出かけられ、採集記を「北九州の昆蟲」に書かれている。

松永さんは、私の母親と同年だが、まったく子供のように喜怒哀楽を素直に出される方で、珍しい虫、きれいな虫が採れると手放しで喜び、大きな目を剥いて、大声で笑い、話をされた。

比較的、採集は下手な方で、たびたび琉球の各地に採集旅行に出かけられても、採集される数は少なかった。
同定も、チョウ以外はあまり芳しくなく、後にそのことを自覚されたようで、時々、確認のためと称して同定依頼の標本が送られてきた。

しかし、1つでも珍しいものが採れると、手放しの喜びようで、十分に採集を楽しんでおられたようだ。
それも、いつも奥さん同伴で出かけられていたようであるし・・・。

松永さんは子供さんに恵まれず、かわりに、その当時はあまり一般的でない血統書付きの座敷犬を、子供のようにかわいがられていて、そのかわいらしい代々の亡くなった犬の写真が居間に飾られていた。
いつも、お訪ねすると部屋の中で2~3頭の犬の鳴き声がし、テーブルのワキにはネコも控えていた。

1988年に松永さんからいただいた屋久島のジョウカイボンの中に、新種のジョウカイボンを見つけ、よくよく調べてみたら九州本土にもいることが解った。

(マツナガジョウカイ)

直後の、長崎の阿比留さんと書いた熊本県の甲虫の採集記録の中で、その種を「マツナガジョウカイ(和名新称) Athemus sp.」として報告したところ、松永さんは、鬼の首を取ったような喜びようだった。

今坂正一・阿比留巨人, 1989. 1989年に採集した熊本県の甲虫. 熊本昆虫同好会報, 35(1): 1-32.

マツナガジョウカイは、学名未決定のまま何度か各地から報告したが、その後、Athemusをまとめていた奥島さんから、共同でAthemusの新種3種を発表したいとの提案があり、松永さんの手前、この種に限って、私を第一命名者にしてもらうことを条件に、共著の承諾をした。
もちろん、学名はmatsunagai、和名はマツナガジョウカイである。

発見のきっかけになつた屋久島産は不完全品だったので、同じく、松永さん採集の広島県西部の吉和村十方山林道産をホロタイプに指定し、九州大学に保管をお願いした。

(論文タイトル、種名、ホロタイプ)

[さらに、私の手元に、数少ない、まともに展翅されたチョウの標本がある。

これは、1971年に学生交換のホームステイで、アメリカのテキサスに出かけた際に、ホームステイ先の住宅の周辺で採集したチョウ類である。
同様に採集した甲虫は、帰国後すぐに標本作製し、整理してドイツ箱に保管していたものの、チョウの展翅はせずにほっておいた。

そのことを、松永さんにお話ししたところ、「自分が展翅してやるから」と言われて、種名も付けて返して頂いたものである。本当は、採集記録も書くように言われていたのだが、はたせずにそのままになってしまった。

(松永善明さん制作のアメリカのチョウ)

大部分は、このテキサスのほぼ中央部にある、その名もMidlandという町の付近で採集したチョウであるが、メキシコ国境にほぼ近い標高1000mほどの砂漠(ステップ)であるにもかかわらず、住宅地周辺は樹木が多く植えられ、チョウの姿も結構多く見られた。
北方系のキベリタテハと、南米系のツルギタテハが、同時に見られるのは面白い。

(上:キベリタテハ、下:ツルギタテハ)

何かのきっかけで、娘たちに、毎年、大量のチョコレートの贈り物を頂くことになり、松永さんは、うちの子達には、「チョコレートの叔父さん」として認識されている。

この、40年近いお付き合いの中で、1つ1つは覚えてはいないが、目に見えないものも含めて、沢山のものを頂いてきたのだと思う。

そう考えながら、本日(7月1日)、葬儀に出席し、お見送りをしてきた。合掌