大平仁夫先生を偲んで

城戸克弥さんから、昨年末に亡くなられた大平仁夫先生への追悼文が届いていますので、掲載します。

大平仁夫先生を偲んで

城戸克弥

2022年12月4日、コメツキムシ研究の大家であった大平仁夫先生が亡くなられた。

ご高齢な上、数年前からご病気で伏せてあったことは伺っていたが、回復なさるのを心待ちにしていた。最後に頂いたお手紙では、体がなかなか思うようにならないというようなお話をなさっていて、とても心配だった。

大平先生はコメツキムシの専門家だったが、日本各地の同好会を通じて、アマチュアの育成を積極的になさってきた。各地の昆虫同好会誌などには積極的に投稿をされ、その土地のコメツキムシ相の解明に大きな功績を残された。

本会でも、事務局をなさっていた故 荒巻健二氏もたびたび標本を送られ、何度も本誌に発表されていた。また、当時、多くのアマチュアが先生の同定を受けてコメツキムシの記録をしていた。私もその一人である。

そして、先生はアマチュアがコメツキムシの同定にかかわれるように平易な文章でコメツキムシを解説なさるなど、コメツキムシ研究の普及に努められた。各地の同好会誌には、その土地のコメツキムシを中心とした詳しい解説をたびたび発表されていた。

特に、「昆虫と自然」に「日本のコメツキムシ」(1969-1972)を11回にわたって発表され、当時の日本産全種の検索と解説、それに豊富な図 [図-1] を添えられ、コメツキムシの同定には今でも欠かせない文献と なっている。

(図-1: 大平,1972. 日本のコメツキムシより引用)

日本のコメツキムシ 付図

私が最初に大平先生にご指導を頂いたのは1975年なので、もう50年ほど前、私が学生のころである。

当時、城山の甲虫目録を作成していて、コメツキムシが採れるものの、まるで名前がわからずにいたころである。それで、手紙を差し上げ事情をお話ししたところ「標本 (コメツキ) の同定の件は了承しました。すぐに調べますので送ってください。城山は今まで私が扱ったコメツキでは記憶がありませんが、林相が面白そうなので楽しみです。」というお返事を頂いた。

それからは毎年のように同定を頂くことになった。先生は大変筆まめな方で、どんな細かなお尋ねにも丁寧なお返事をいただいた。中には私にとって忘れがたい思い出となった種があるので記しておきたい。

(図-2: Paracardiophorus nakanei hondoensis Ohira, 1997 ホンドコハナコメツキ・パラタイプ)

ホンドコハナコメツキ

大平仁夫, 1997. 日本産コハナコメツキとその近似種について. 比和科学博物館研究告, (35): 1-16, 14pls.

当時玄界灘の離島などを調べていた最中で、沿岸のクロマツの花から7㎜程のコハナコメツキがたくさん採れていた。よく見てみると何種かに区別できるような気がして、先生に同定を願ったものである。

先生からは、「何かはっきりしないものがあるのでもう少し標本を送ってほしい」との連絡があった。現在の福岡県糸島市志摩芥屋、新宮町相島、宗像市大島産の標本が私採集の個体でパラタイプの一部となった。なお、同じホロタイプ、パラタイプで九州産の採集者に北野龍海氏、帆足千尋氏(お二人とも筑紫野昆虫同好会)、三宅義一氏ら福岡県内のアマチュア研究者の名が並ぶ。

(図-3: Platynychus ferrugineus(Lewis, 1894)アカオオハナコメツキ)

アカオオハナコメツキ

大平仁夫, 2002. 九州のコメツキムシ回想記(2). KORASANA, (69): 131-132.
城戸克弥, 2002. Platynychus ferrugineusと呼ばれるコメツキムシの再発見. 月刊むし, (377): 46-47.

大平仁夫・城戸克弥, 2002. アカオオハナコメツキの分布と形態の概要について. 甲虫ニュース, (139): 10-12.

この種の発見ほど「偶然」が重なったことはないと思った。2002年ごろ、私はそれまであまり整理していなかったコメツキムシ科の標本の整理を始めていた。ハナコメツキ類として保管していた多数の種を見ていくうちに、7㎜ほどの褐色のハナコメツキが目についた。それも10頭ほどあった。

先生の「日本のコメツキムシ」の検索で調べていくと、脚の爪に切れ込みがあることからオオハナコメツキ属であることまではすぐに分かった。当時、九州から知られていたこの属は2種で、それとはまったく違っていた。それで先生にお送りしたのである。これが4月のことである。

すると、すぐに速達でお返事が送られてきた。そこには

「標本を見てびっくりしました。私が永年九州で求めてきたハナコメツキで、少し皆に知ってもらうつもりでKORASANAに原稿を出したところです。もうすぐ出ますが、その原稿を同封しました。これをご覧になれば大体わかると思いますが、G. Lewisが採集して以来採れていない珍種です。」と、驚くようなことが書かれていた。

それからはこの種の処置について毎週のように手紙や葉書の交換が続いた。先生は、ともかく採れたことを早く公表することをお考えになっていたようで、まずは速報性の高い「月刊むし」に投稿するよう、いろいろなアドバイスを頂いた。私のほうは共著で、ぼちぼちでと思っていたが、先生は「この発見の最大の功労者は城戸様です。ぜひ単独で出してください。原稿は見ます。形態や生態など、詳しいことは共著でしましょう。すでにSEM(走査型電子顕微鏡)での撮影準備もしております。」とすばやかった。

「書くのが面倒であれば、私が書いてあげますよ。」とまで言われ、待ったなしであった。掲載誌の「月刊むし」は6月に、「甲虫ニュース」は9月に発行され、またたく間に片づいたという感じだった。

その後、この種は福岡県北部の海岸地帯で次々と発見された。海岸砂丘より少し内陸側に限って生息することがわかってきた。詳しい生態は不明だが、生息地が開発の影響を受けやすいことや福岡県以外での再発見がないことから福岡県レッドデータブック2014では絶滅危惧II類として掲載した。

(図-4: Lanecarus katsuyai Ohira, 2003 カツヤニセクチブトコメツキ)

カズヤニセクチブトコメツキ

Ohira H., 2003. New or little-known Elateridae (Coleoptera) from Japan, XLV, 2 (31): 361-365.

アカオオハナコメツキの事でてんやわんやしていた頃、私のほうは友人の小田正明さんと共に福岡県城島町(現 久留米市)の筑後川河川敷の甲虫を調べるべく、灯火採集をやっていた。

2002年7月、土手に天幕を張って、夜風にあたりながらののんびりとした採集だった。虫のほうはあまり飛来しなかったが、6㎜ほどのクチブトコメツキのような種がいくつも飛来してきた。同定の難しい種のようで、いやな奴が飛んできたと思いながらも、数頭採集した。ただのクチボソコメツキかなと思いもしたが、河川敷という特殊な環境というのが気になって、これも先生に見ていただくことにした。

すぐにお返事の葉書が来て、そこには「~大変な珍品です。これもG. Lewis(1894)以来記録のない種でトビイロクチブトコメツキの正体と思います。現在間違った虫に充てられています。~」とあった。その後、調べを進められ、未記載種ということがわかり記載の準備を進められた。

そして、「城戸様の名を冠したいと思います。種名をkidoiかkatsuyaiにしたいと思っています。どちらが良いですか。」という連絡があった。これにもびっくりしたが、kidoiはすでにいくつかあるのでkatsuyaiでということで決まった。

記載には和名もつけられていたが、こちらは「ニセ」だの「クチブト」などがくっついていて、なんとなく喜べなかった。小田氏にお願いしてその後も採集を試みていただいたが、全く採れなかったそうである。

先生とは、半世紀近くの長いお付き合いをさせていただいたが、結局一度もお目にかかることはなかった。それでも先生はいつも懇切丁寧なお手紙をくださり、また、たくさんの別刷りを頂き読むのが楽しみだった。

当時は今のようにメールでさっさと済ます時代ではなかったので、手紙か葉書での連絡の繰り返しだった。葉書ではいつも小さな文字が一面にびっしりと書き込まれていた。

2019年5月、先生から長文のお手紙を頂いた。体調がすぐれないが日常のことはできるようになってきたこと、今後の標本の保管や研究についての近況などの思いがたくさん書かれてあった。私のことにも触れられ、「~本当に立派な研究者になられ感心しています。よく努力されたのと、よき研究の場を持たれたこと、心よりお祝い申し上げます。~」と九州大学総合研究博物館に出たことをとても喜んでくださった。結局、先生から頂いたお手紙はこれが最後となってしまった。

先生にはお世話になるばかりであった。私としては、趣味としての昆虫との付き合いを今後も続けていくことしか恩返しはできないと感じている。

大平先生、私のような一介のアマチュアを長きにわたって、いつも御丁寧なご指導を頂き、ほんとうにありがとうございました。先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。