虫供養

平成19年10月28日(日曜)午前11時より約1時間、久留米市御井町高良大社社前 昆虫塔前において、久留米昆蟲研究會主催の第47回 昆虫慰霊祭が執り行われました。

 

参列者は岩橋会長、(株)USI社長・山村氏、荒巻事務局長、森田(前会長)、今坂、井上、川上、斉藤、田島、高柳、築島、原田、国崎(鳩山氏秘書)の13名。静粛な宮司の祝詞の後、参列者を代表して数人が玉串を捧げ、慰霊祭を終了しました。

終了後、森田さんが、この慰霊祭が開始された昭和36年発行の会誌KORASANA,Vol.1,No.3を持参されていて、参加者で回覧しました。

上記の記事に寄りますと、この慰霊塔は、梅野明会長のもと、久留米昆虫同好会10周年の記念行事として企画されたもので、久留米市内の高良神社の境内に、(株)USIの前身 誠教社の奥永社長が建立し、久留米昆虫同好会に寄贈されたということです。

制作は南筑高校の日展作家 城下先生。梅野会長がこの高良山で採集されたナガサキアゲハ異常型コーラサナ(ab. korasana: これが会誌名の由来)をかたどったものであるそうです。
会誌の巻頭の辞で、梅野会長は、「昆虫塔は、高良神社と共に永久に保存されることと信じ、年一度は久留米昆虫同好会会員一同ここに参集して、昆虫共の霊を慰むると共に、吾々の向学と正しい趣味普及に努力する意味の集いを持ち度いものである。」と述べられています。

上記会誌本文によりますと、日本で最初の昆虫塔は、昭和36年10月14日、除幕式が執り行われました(森田さんが文責)。

出席者は奥永社長、梅野会長を始めとする同好会会員、市内各位、各学校の代表者などで、来賓として、日本昆虫学会会長 安松京三、国際鱗翅学会会長 白水隆、九州大学教授 宮本正一、同 林千別、久留米大学教授 武谷直の各氏が出席されています。
この顔ぶれを見るにつけ、当時の梅野会長、および久留米昆虫同好会の昆虫界における位置が想像できます。

その後、毎年毎年、1年も欠かさず、会員各位や最近では事務局の荒巻さんの努力で、慰霊祭は継続され、白水隆先生も亡くなる数年前までは出席されていました。

私自身、アセスメント調査を生業にし、そうでなくても、趣味で膨大な虫たちを殺し続けて生活しています。一年に一度の供養で、それらが帳消しになるとは思いませんが、一瞬であっても、虫たちを殺して生きている自分を意識し、その意味を考えるために、可能な限り今後も出席したいと考えています。

国内で、同好会、学会など、虫に関する団体で虫供養をされているという情報を知りません。ご存じの方がいらっしゃいましたら、お知らせ下さい。

上記の記事を読んで、京都の水野さんから、次のような情報が寄せられました。

「丹後・若狭虫の会では定例行事として虫供養を開催しているようです。
また、名古屋の蟹江さんのmixi日記を見ましたら、10/21 の記入に、名古屋昆虫同好会の伝統行事で、1966年から今年で41回目とあり、仏式の写真が貼り付けてありました。穂積さんあたりからずっと続いているようです。
各地の同好会誌をレビュウすればそれも面白い文化現象として把握できそうですな。」

それで、丹後・若狭虫の会の安川さんに問い合わせてみました。安川さんの返事は次の通り。

<虫供養について>
毎年一月末の総会時に、先立って神主さんの(私の友人でもある)都合とあわせてきめる。祝詞の中に、その年の会長名を入れて貰う。
1. 祭壇に前年度採集した標本箱を飾っておく。ビールや菓子類ミカンなど
2. 祝詞が終って、会長、ほか3名が玉串をささげる。2礼2拍手一礼、祝詞の最後に神主さんが一同にお払いをするのが虫供養の厄除けです。
3. 最後に神主さんの講話がある。昆虫に理解あるひとだが、あまり虫を乱獲しないように、殺生はほどほどに・・ともいうが。
4. 若干の謝礼で出張してくれる。一同は座布団を敷くので祭壇に向かって厳粛な気分かも・・・30分ほどです。

地方新聞社が取材にきたり、NHKローカルが、ギフチョウの話をすればくることあり。ざっとこの程度です。総会を絞めるのに良いと思ってやっています。以上です。

情報をご教示頂いた水野さん、安川さん、ありがとうございました。

虫供養は久留米昆蟲研究會の専売特許みたいに書きましたが、各地の同好会でも行われているようです。うちでは、こんなふうにやっている、と言う話がありましたら、お知らせ下さい。