例年より早く満開になろうとしている桜を眺めながら、実家のある長崎県島原半島に帰省してきました。
さまざまな用事の合間をかいくぐり、3月27日には、久しぶりに島原半島南部の加津佐町、口之津町(以上、現在は南島原市)、南串山町、千々石町(以上雲仙市)で虫を眺めてきたので報告します。
実は、2001年に発行された長崎県RDB(レッドデータブック)が、発行後10年近く経ったことにより、昨年夏から3年間の予定で、見直しが始まることになりました。
私も、前回に引き続いて、甲虫の委員を引き受けましたので、その一環として、今年は、なるべく、長崎県内の調査を優先させようと考えています。
現在住んでいる久留米市からは、多少遠いのですが、今回のように、何か、ついでが有り次第、積極的に長崎県内での採集・調査を行いたいと思っているところです。
さて、桜は咲いたというものの、この数日、低温の日々が続いていまして、朝夕は5℃前後、日中も12〜3℃と寒く、チョウも飛び回る気配がありません。
それで、暖かくて、いくらかでも虫が活動している可能性がある、島原半島南端に位置する加津佐の岩戸山を中心に調べてみようと思い立ちました。
島原半島南端の南島原市の、さらに南西端に位置する加津佐町の海岸に岩山が有ります。これが岩戸山で、高さ120m、周り1kmあり、全山に南方系の植物が多く、岩戸山暖地性樹叢として国の天然記念物になっています。
この地では長崎県RDB種として、
シイの枯れ枝からキリシマチビカミキリ Sybra sakamotoi (Hayashi)(VU)、
オオイタビの葉上からミスジツブタマムシ Paratrachys hederae hederae E.Saunders(VU)、
シイの花上からホソヒメジョウカイモドキ Attalus elongatulus Lewis(VU)などが記録されています。
中腹に禅寺が有り、全山このお寺の境内と思われ、宗教的な理由でこの岩山が保護されてきたのでしょう。
お寺の背後の森で、キノコが密生した立ち枯れを見つけ、樹皮の下からクチキコオロギとウルシゴキブリを見つけました。後者は一見、クロゴキブリに似ていますが、体全体漆黒です。長崎県では、長崎市の南に延びる野母半島の先端で記録されていたと思います。
(上:クチキコオロギ下下:ウルシゴキブリ)
東側の座禅石に到る岩山のピークに登ると、東に加津佐の町が、西には山頂である西側のピークが見えます。
(上:加津佐の町、下:西側にある山頂)
座禅石への道沿いには、良く通っていた1970〜80年代には、尾根沿いにシイが多く、この花上からホソヒメジョウカイモドキなどが得られ、そのひこばえの枯れ木にキリシマチビカミキリが見られたものです。
その後、直撃した台風で、尾根沿いのシイは大打撃を受けたようで、道沿いのシイは激減していました。
数少ないシイの葉上から、フタモンヒメナガクチキ、クギヌキヒメジョウカイモドキ、コクロヒメテントウ、フタホシテントウ、ムシクソハムシ、ケナガサルゾウムシ?、ヒメトサカシバンムシ、ヒラセノミゾウムシなどが落ちてきました。
しかし、シイの花はまだ堅い蕾のままで、花が咲き出す、あと、半月から一ヶ月経たないとホソヒメジョウカイモドキを初めとしたさまざまな虫は見られないようです。
画面上から2列目の黒いムシクソハムシの一種は、ヒメコブハムシ Chlamisus diminutus (Gressitt)です。
この種は九州では低地〜低山地の葉上に多い種ですが、本州など他の地域では見つかりません。本来は大陸系の種の様です。
かつて、黒くて小さいコブハムシをミズキコブハムシ Chlamisus interjectus (Baly)として長崎県内各地から記録したのですが、数年前、調べ直しましたところ、それはヒメコブハムシの誤認であることが解りました。
結局、私自身が記録したものは全てヒメコブハムシで、長崎・佐賀両県ではミズキコブハムシを確認できていません。ミズキコブハムシは本種はよりやや大型で黒く、九州ではやや山地性でミズキ葉上から採集され、福岡県や大分県などで見つかります。
東側のピークを後にして、西側のピークの海側の中腹にある岩戸観音を目指します。
両ピークの鞍部にある峠を越して海側の斜面に降りると、林床には一面にツワブキが咲いていました。
中には虫に食われて穴だらけのものが見られます。
これはアカアシナガトビハムシ Longitarsus cervinus Balyの食痕で、いくつか注意深く見ていくと、葉の裏面に成虫が付いていました。
(上:アカアシナガトビハムシの食痕のあるツワブキ、下:アカアシナガトビハムシ)
岩山の直下に当たる林内は急斜面ではありますが、広葉樹林が結構発達していて、葉を叩いたり、掬ったりしながら進むと、チャバネツヤハムシ、ベニモンキノコゴミムシダマシ、クロスジツマキジョウカイ、ハヤトニンフジョウカイ Asiopodabrus hayato (Nakane)、キイロニンフジョウカイ Asiopodabrus ochraceus (Kiesenwetter)、クロアオケシジョウカイモドキ、シマバラクロチビジョウカイ(仮称) Malthodes sp.などが見つかりました。
(上:岩戸山の林内、下:岩戸山で採集した甲虫2)
写真上段、右から2番目の茶色いゾウムシはカンコノキニセアシブトゾウムシ Heterochyromera imerodeus Kojima et Morimotoで、ビーティングで葉上から落ちてきました。
本種は佐賀県の馬渡島、長崎県五島の平島、甑島、トカラ中之島、徳之島の分布が知られていますが、九州本土からは初めての採集例と思われます。典型的な九州西廻りの種のようで、やはり、南方系の植物の多産で国の天然記念物になっている岩戸山の本領発揮といったところです。
(カンコノキニセアシブトゾウムシ、上:背面、下:側面)
下草をスウィーピングしながら歩いていると、見慣れぬクチキムシが入りました。かつて、やはり同じ岩戸山で1個体だけ採集し、日本産に該当するものが無くて、イワトクチキムシ Isomira sp.として仮称・記録(今坂, 2001)しておいた種の様です。
複眼が非常に大きく、フナガタクチキムシを黒くしたような種です。
今回採集できたものは2♂の様なので、誰かに調べて頂こうと考えています。木元(2004)の解説にも石垣島産のIsomiraが載っていますので、これと関連があるかも知れません。
岩戸観音は岩山の中腹にある岩穴の中に有り、オーバーハングした絶壁を通り過ぎた所です。下はほぼ100mほどの断崖で、この岩肌にオオイタビが這っています。
(上:岩戸観音直下、下:オオイタビ)
かつて、その葉上にミスジツブタマムシが群れていましたが、1980年代後半以降、見ていません。成虫の発生期は主として夏季ですが、いるなら常緑のオオイタビ葉上に食痕が残っているはずで、多少、探してみましたが、食痕は見つかりませんでした。
すぐ脇にアカガネエグリタマムシ Endelus pyrrosiae pyrrosiae Y. Kurosawa(EN)の食草であるヒトツバが生えており、見ると、この種の食痕がありました。
(上:ヒトツバ葉上のアカガネエグリタマムシ食痕、下:かつての島原産アカガネエグリタマムシ)
アカガネエグリタマムシは、島原市内低地のヒトツバ葉上で、1970〜80年代は春季にかなり多く見ることが出来ましたが、1990年代初頭の普賢岳の噴火災害以降は、ひどい火山灰などの影響で、再発見されていません。
亜種は違いますが、琉球から西日本各地に広く分布する種なので、長崎県の低地でも各地に分布しているはずなのですが、まったく、記録されていません。
今回は、食痕だけで、虫自体を発見できませんでしたが、まず、いることは間違いないと思います。
せっかく来たので、観音様を拝んでいくことにしました。
ちゃんと水や花芝が備えてあり、数日おきには参拝される方がいらっしゃるようです。
(上:岩戸観音、下:岩穴の外)
岩山を登ったり降りたりしてすっかり疲れたので、一服も兼ねて、昼食にしました。
午後から、ずっと気になっている、口之津町のヨドシロヘリハンミョウ Callytron inspecularis (W.Horn)(CR)の生息地の現状を確認しに行くことにしました。
(上:口之津町産ヨドシロヘリハンミョウ♂、下:1981年に観察した幼虫の巣穴)
島原半島のヨドシロヘリハンミョウとは、口之津町在住の布施康孝さん(故人)から、自宅近くで採集された1♂1♀を見せて頂き、1980年に報告した(今坂, 1980)のが最初の出会いです。
当時、九州では大分県など瀬戸内海沿岸の記録しか無く、さっそく、この記録を見たハンミョウ生態研究の第一人者・京都大学の堀さんから連絡があって、夏にはわざわざ現地調査に来て頂きました。
たまたま幸運もあって、すぐに、口之津町貝瀬の生息地を発見しました。
さっそく、瀬戸内海各地のものとは微妙に形態が異なるとの堀さんの意見をもとに、土砂置き場脇の不安定な生息地を危惧して、「シマバラシロヘリハンミョウ(仮称)の発見と保護について」という表題のもとに堀さんと共著で報文を書きました(今坂・堀, 1982)。
それと共に、知人を通じて口之津町の担当者に貴重な種の保護を申し入れたところ、生息地は私有地であり、所有者は当分、現状を変更する予定がないので、大丈夫であろう、との返事をいただきました。
しかし、それから数年後には、ジャリ置き場が拡大し、生息地の確保が危ぶまれ、巣穴を確認することが出来なくなりました。
それでも、さらに数年過ぎた1993年には付近の本屋さんの外灯に飛来した本種を確認しています。
私自身が1995年から久留米に引っ越し、その後どうなったか心配していたわけです。
結局、かつての生息地は消滅していました。
当時は、水路の両側にヨシ原が広がり、水路沿いに砂混じりの土砂が堆積していて巣穴が見られたのですが、水路の左岸は埋め立てられてイルカウォッチングの船着き場に、右岸も埋め立て嵩上げされて裸地〜草地に変化していました。
(上:かつての生息地、下:現在の様子、写している方向はまったく180度逆向きです)
私有地でもあり、発見後、30年近く経過していますので、有る程度、しかたのないことかも知れません。
その後発見された諫早湾の本明川河口の個体群も、その後見られなくなり、長崎県では、現在確認できる生息地は知られていないようです。
ちょっと気落ちしましたが、気をとりなおして、シロヘリハンミョウ Callytron yuasai yuasai (Nakane)(VU)の生息地も確認することにしました。
島原半島に本種が生息することは、ハンミョウ研究家の桃下さんが触れられていますが、場所を公表されていないので、ここでも書きません。
昨秋、桃下さんに別の場所で実地指導をしていただいたので、その経験を頼りに探すことにしました。
探してみると、2〜3ヵ所目で生息地が見つかりました。
海岸近くに赤土などのガケが露出した場所で、そのガケに多少とも湿気があって、柔らかい土の部分があることが必須条件のようです。
一般のハンミョウは垂直に巣穴を掘りますが、本種はほとんど水平に空いているようです。ちょっと、ガケを崩すと容易に幼虫を見つけることが出来ました。もうかなり成長しているようで、15mmほどありました。
(上:生息地のガケ、中:幼虫の巣穴、下:幼虫)
ヨドシロヘリハンミョウとは異なり、比較的に、人為的な影響を受けにくい場所に営巣するので、本種の方は、生息地そのものの破壊はそれほど心配しなくても良さそうです。しかし、幼虫は容易に採集できるので、くれぐれも乱獲は謹んで下さい。
さて、最後に千々石の橘神社に回りました。ちょうど桜が満開で、縁日が開かれています。
全国的に、ここの桜にはトゲムネミヤマカミキリ Trirachys orientalis Hopeが生息することで知られています。
本種は国内で島原半島だけで生息が確認されていて、本来は、台湾等からの帰化したものであろうと考えられています。
島原半島では唯一、ソメイヨシノの大木のみを加害することが確認されていて、次々に生木の樹皮下を食害して、生態が解明された1970年頃からほぼ10年くらいの間に、島原市の桜の大木はほぼ枯死して、幼木に植え替えられてしまいました。
そのような事情で、島原市では、やはり雲仙噴火の最中の1991年に私自身が採集して以来、成虫は確認されていません。
一方、千々石町ではその後も多産していましたが、2000年前後から桜の枯死や伐採が相次ぎ、個体数が極端に減少し、2007年以降は成虫が確認されていません。
満開に咲いている桜を、屋台店の後ろに回って1本1本見てみましたが、本種が好む直径30cm以上の大木は数えるほどしか残っていません。
本種が食害して枯らし、倒壊の危険が出て切り倒された切り株がいくつか残っていました。
(上:枯れた切り株、下:かつての樹幹に這うトゲムネミヤマカミキリ)
多少とも生息の可能性のある大木の樹幹には、よく見ると幼虫が出した木くず・糞が散見されます。しかし、これらの糞は、食害後数年以上に渡って残存している可能性があります。
今現在活動中の幼虫が出した木くずであれば、桜の樹脂が混じって水気のある柔らかいものが多いのですが、見られたものは古く乾いた木くずばかりで、樹脂混じりの木くずは、とうとう見つかりませんでした。
また、最近の脱出口と思われる穴も樹幹に見つけることはできませんでした。
そんなわけで、生きている本種の痕跡は見つけられず、あるいは、橘神社の境内の本種も、絶滅した可能性もあります。
結局、今日は、生息を確認できた種より、絶滅した可能性を確認した種の方が多いという、残念な結果になりました。
しかし、ひとつひとつ、そういう確認を積み重ねていって、その後の保護に繋げていかないと・・・と思っています。
引用文献
今坂正一, 2001. 島原半島の甲虫相3. 長崎県生物学会誌, (52): 56-73.
今坂正一・堀道雄, 1982. シマバラシロヘリハンミョウ(仮称)の発見と保護について. 長崎県生物学会誌, (23): 7-11.
木元達之助(2004)クチキムシ亜科甲虫の分布記録. 甲虫ニュース, (145): 7-14.