久留米昆蟲研究會では、近年、会誌発行に力を入れています。
会員80名足らずの少数精鋭の会ですが、その歴史は古く、1951年の創立ですから今年は創立65年目になります。
会誌KORASANAは今回が84号になりますが、その誌名は、久留米市高良山をタイプとするナガサキアゲハの異常型 ab. korasanaにちなむそうです。
久留米昆蟲研究會ではKORASANA84号を3500円で頒布しています。
ご希望の方はこのホームページ左上の「おたより」をクリックして申し込まれるか、あるいは、直接、事務局 kokubukennichi@hotmail.co.jp までお申し込みください。
なお、上記、3500円は年会費相当ですので、今後も会誌を希望される方は、入会いただいた方が便利でしょう。
表紙は以下の通りです。
この表紙は末藤氏によるエッセイ [ 怪人 R. Straatman の思い出 ]よりデザインされたものです。
手紙は伝説的なオランダ人の蝶採集家で標本商 R. Straatman氏から末藤氏にあてられたもの、ゴクラクトリバネアゲハは彼が扱っていたチョウの象徴です。
どんな逸話かは9ページからの本文を参照してください。
目次は次の通りです。
報文
國分 謙一 [ 故・森田公造先生の蝶類標本目録 ]・・・・・・・・・・・・・・1
溝部 忠志 [ クロマダラソテツシジミの誤産卵の記録 ]・・・・・・・・・・・5
吉美 信一郎[ 古い標本箱を整理 ] ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6
吉美 信一郎[ 2015 年中の主な採集歴 ]・・・・・・・・・・・・・・・・・・7
末藤 清一 [ 怪人 R. Straatman の思い出 ]・・・・・・・・・・・・・・・・9
深川 元太郎[ 長崎県佐世保市国見山のオオキバハネカクシ属の採集記録 ]・・17
深川 元太郎[ 長崎県のヒゲクロツブゴミムシの記録 ]・・・・・・・・・・・18
本田 良太 [ 2015 年に羽脱した福岡県のカミキリ ] ・・・・・・・・・・・ 20
築島 基樹 [ 久留米市高良内町および青峰に生息するヒメドロムシ科 ] ・・・21
今坂 正一・國分 謙一・斉藤 正治[ 石割岳採集例会で確認された昆虫類 ] ・ 23
今坂 正一 [ 九州産ハナムグリハネカクシ類(予報) ]・・・・・・・・・・ 35
江頭 修志 [ 熊渡山の甲虫(1) ]・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・49
小田 正明 [ 南関町大津山の甲虫(II) ] ・・・・・・・・・・・・・・・・59
小林 修司 [ 伊豆大島採集記 ] ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・73
白土 幸治 [ 2015 年沖縄本島カミキリ採集記 ]・・・・・・・・・・・・・・79
城戸 克弥 [ 福岡県のゴミムシダマシ上科 ] ・・・・・・・・・・・・・・・85
上宮 健吉 [ キモグリバエ科の属の検索表絵図解説(その2) ] ・・・・・・155
田畑 郁夫 [ 脈翅目の脈相に関する私見、ヒロバカゲロウ類を中心として ]・169
田畑 郁夫 [ ウンカ・ノート1 ] ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・193
田畑 郁夫 [ ヨコバイ・ノート2 ] ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・205
田畑 郁夫 [ クダマキはタイワンツクワムシと思われる ]・・・・・・・・・208
田畑 郁夫 [ 昆虫採集余談 ]・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・209
荒巻 健二 [ 旧・久留米地区の昆虫たちと雑記・戦後篇 ]・・・・・・・・・211
短報
江頭 修志 [ 迷蝶タテハモドキの久留米市での採集記録 ] ・・・・・・・・・11
川上 太朗 [ タテハモドキの越冬中の成虫を採集 ] ・・・・・・・・・・・・11
川上 太朗 [ リュウキュウムラサキを福岡市内で採集 ] ・・・・・・・・・・12
川上 太朗 [ 福岡市内でヤクシマルリシジミを採集 ] ・・・・・・・・・・・12
行徳 直久 [ 久留米市でウスコモンマダラを採集 ] ・・・・・・・・・・・・13
稲益 伸之 [ 久留米市街地でコガタノゲンゴロウを採集 ] ・・・・・・・・・13
千葉 秀幸 [ 筑後市街地でのヒグラシの記録 ] ・・・・・・・・・・・・・・14
千葉 秀幸 [ 石割岳・平野岳のチョウ ] ・・・・・・・・・・・・・・・・・14
荒巻 健二 [ 久留米市内でコクワガタを採集 ] ・・・・・・・・・・・・・・14
國分 謙一 [ 高良山のミズイロオナガシジミ ] ・・・・・・・・・・・・・・15
築島 基樹 [ 久留米市におけるムナビロツヤドロムシの採集記録 ] ・・・・・15
小林 修司 [ 糸島市でのネブトクワガタの追加記録 ] ・・・・・・・・・・・16
小林 修司 [ 田川市でのネブトクワガタの追加記録 ] ・・・・・・・・・・・16
時津 洋臣 [ 大牟田市におけるコガタノゲンゴロウの採集記録 ] ・・・・・・84
長短、さまざまな報告が掲載されていますが、資料的価値の高いものから紹介すると、まず、上宮健吉 [ キモグリバエ科の属の検索表絵図解説(その2) ]です。
その(1)は83号に掲載されています。その1と2を合わせて、上宮博士の博士論文、Kanmiya(1983)の和文による解説ということになります。
Kanmiya, K. (1983) A systematic study of the Japanese Chloropidae (Diptera). Mem. Entomol. Soc. Washington, 11:1-370.
属までの検索表、♂交尾器図、全形図なども付属していて、日本産キモグリバエ科を調べる上では必須の文献と思われます。
(♂交尾器図)
次に、田畑郁夫氏の[ 脈翅目の脈相に関する私見、ヒロバカゲロウ類を中心として ]、[ ウンカ・ノート1 ]、[ ヨコバイ・ノート2 ]の3編は他に類を見ない報告です。
まず、脈翅目の脈相に関する私見から、
最初に、以下のように書かれています。
「1, 各脈の伝統的基本事項
各縦脈は、伝統的に前方から、C( 前縁脈 )Sc( 亜前縁脈 )R( 径脈 )M( 中脈 )Cu( 肘脈 )A( 肛脈 )J( 垂脈 )と呼ばれてきた。R には径分脈Rs : Radial secter があり、R を含めて前方からR 1 〜 R 5 とされるが、R 2 からR 5 まではRs に含まれるので、これらがRs 1 〜 Rs 4 と呼ばれることもある。また、Mは前方からM 1 〜 M4 とされ、Cu の場合、前分脈がCu 1、後分脈がCu 2 と呼ばれ、Cu 1 はさらに分岐し、前方の脈はCu 1a 、後方の脈はCu 1 b とされてきた。
A は、前方から1 A、2 A、3 Aとされるが、これらはA 1、A 2、A 3 と表現されることもあった。
縦脈には凸脈と凹脈があり、その後、各縦脈は前分脈A : Anterior と後分脈P : Posterior に分岐するとされ、仮に、任意の縦脈をX とすると、前分脈XAが凸( + と表現する)、後分脈XP が凹( − と表現する )とされてきた。すなわち … [ RA とRP ]、[ MAとMP ]、[ CuA とCuP ] … などであり、XA が[ + ]、XP が[ − ] となる。しかし、従来の脈相解析では、この[ + ] と[ − ] が逆転することになってしまう事例が散見され、本報にはこれに対する個人的な見解も含んでいる。」
門外漢には何のことか全く理解不能。次の図はヒロバカゲロウ後翅翅脈の図。
次いで、カスリヒロバカゲロウの後翅翅脈の図。
次々と詳細な翅脈図とそれに付された記号、そして、考察を見ていきますと、田端氏は旧知の友人ながら、「世の中には、内外のあまたの文献を読破しながら、何と綿密できめ細かい考察を自身で組み立てることのできる頭脳が存在するのだろうか!!」と感動してしまいます。
単に私の頭が着いて行けないだけかもしれませんが。
どちらにしても、翅脈の形態学・系統学を志す方は一見の価値があると思います。
[ ウンカ・ノート1 ]では、フタスジオオウンカのホストとしてのヨシの仲間の分類や、ホソスジナガウンカのホストとしてのズゲ類の分類等が述べられていますが、ここでは、植物分類に焦点が当てられています。
また、[ ヨコバイ・ノート2 ]では、本誌83 号に掲載された「ヨコバイ・ノート」への新情報と、補足事項が追加されています。
ブチミャクヨコバイ属についての、新しい形質を使用した、付図つきの検索情報は他に無いもののようです。
田畑氏は、その他に、蘊蓄エッセーとも言える[ クダマキはタイワンクツワムシと思われる ]と[ 昆虫採集余談 ]を書かれていますが、特に後者は興味を覚える方も多いと思われますので、著者と久留米昆蟲研究会の許可を得て、全文を掲載しておきます。
************
昆虫採集余話
ツチノコの正体はマムシ幼蛇の最終防御・威嚇姿勢「土の子」である
田畑 郁夫
筆者が長年昆虫採集をしてきた中で、どこかに書き残しておかなければ悔いが残ると思われるほど興味深い体験談が一つある。それは、かの有名な“ ツチノコ ”の正体に関する体験談である。
この話は、既に周囲の幾人もの人に話しているため、私の話を聞いた方もいるはずだし、私の話を又聞きした方もいるだろう。そしてこの話は、どこかで読んだり聞いたりしたことの転記ではなく、筆者の実体験と独自の考察である。
2003 年の夏、夏休みを利用して北九州にやって来た甥っ子二人( 当時、中学生と小学生だった )を連れて“ 虫採り ”に出かけたことがあった。この時訪れたのは、筆者も時々採集に行く北九州市の帆柱権現山である。帆柱権現山は帆柱自然公園内の標高617 m の山で、ほぼ同じ標高の皿倉山と双子峰をなしており、山頂部一帯を鉢巻状に取り巻くように標高520 m 付近を巡る平坦な周遊路( 元は林道と思われる )があり、のんびり採集しながら一回りするのにちょうどよい場所である。
筆者はここで、未記載種であることがほぼ確実と思われるミツクリハバチ属の1 種を採集しているが、もはやこれに手をつけることもないであろうと思っている。
さて、三人連れ立って周遊路を時計回りに巡っていたのだが、しばらく歩いた所で、突然、前方右手の高さ2 〜 3 m の崖上部が小さく崩落し落石とともに小さなヘビが転げ落ちてきた。近づいてみると背中の特徴的な“ 銭形紋 ”が見え、それがマムシ幼蛇( 30 cm 位?だったろうか )であることに気付いた … マムシは卵胎生で、秋に子をもつはずなので、おそらくまだ生まれて1 年以内の個体であろう。 筆者はかつて子持ちマムシを見たことがあり、その時は腹の膨れた母マムシがツチノコの正体だと思っていた … 。筆者自身、大きなマムシ成蛇は時々見ているが、このように小さなマムシ幼蛇を見たのは初めてであり、かつ、幼蛇とはいえ特徴的な“ 銭形紋 ”があったので、瞬時にこれは甥っ子二人にマムシの特徴を教えるのにちょうどよいと思いついた。
ただ、そのマムシ幼蛇自身は突然崖下に落下したため、よほどパニックに陥っていたのであろう、いかにもあわてふためいた様子で道を横切るように左手へと逃げ始めた。そのまま進むと左手の谷へと逃げてしまいそうだったので、筆者はとっさに捕虫網の柄を逆に持ち、柄の末端を地面につけて行く手を遮り、素早く地を掃くような動作を繰り返して右手へ押し戻そうとした。しかし幼蛇の動きは俊敏で、柄は何度か頭の方から体をかすめたもののなかなかヒットせず、ようやく頸の付近にひっかかって右手へと戻し、甥っ子二人に向かって「マムシ!、これがマムシ!」と声をかけた。
マムシ幼蛇はそれでもひるむことなく、さらに左手へと逃げようとするので、筆者も繰り返し柄を振りつけて何とか右手へ戻し、その左へ右への動きが三度ほど繰り返された時、突然、マムシ幼蛇は逃げるのをあきらめたかのようにピタッと静止、間髪を入れずに、胴体の全ての肋骨を横方向に思いきり広げ、瞬時に胴体を真っ平らにして地面に密着、まるで地面と一体化するかのごとき姿で口を大きく開き、細い尾端を垂直に立てて震わせ、乾いた小さな音を立て始めたのである。
「ツ、ツチノコ!!、ツチノコ!!」
その姿はまさに“ ツチノコ ”そのものであり、マムシ幼蛇が一瞬にしてツチノコに変身した!のである。筆者は興奮して声をあげたのだが、甥っ子二人は筆者の後方で「マムシやないとぉー ?ツチノコっち、なん( 何 )?」と言う。それもそのはず、甥っ子二人の世代はツチノコのことを全く知らず、筆者がマムシと言ったりツチノコと言ったりするのだから、きょとんとするのも無理はなく、しかも筆者の背後の甥っ子二人には“ ツチノコ変身 ”が見えなかったらしく、筆者一人が思わぬ遭遇に興奮していたのである。そして、ツチノコの姿に変身していたマムシ幼蛇は、再び普通のヘビの姿に戻って逃げ始めたので、甥っ子兄の夏休みの宿題である骨格標本作りのために、捉えたのであった。ただ、筆者の助言が不適切で、甥っ子兄の骨格標本作りは失敗したという。
肋骨を横に広げるのはコブラと同じだが、コブラが頸のあたりの肋骨だけを開いて立ち上がるのに対し、マムシ幼蛇は全ての肋骨を広げるため、肋骨の無い肛門後方はヘビの姿のまま細く、平らになった胴体を地面に密着させて地面と一体化した姿は、あたかも地上から頭と尻尾が生えているかのような姿であり、この姿こそがまさに“ ツチノコ = 土の子 ”と考えられるのである。
コブラの場合、頸を広げることで背面の眼状紋が際立ち、無防備な背面の敵を驚かせ自らを防御する効果があると思われるが、マムシ幼蛇の場合も、肋骨を全て広げることで“ 銭形紋 ”が“ 眼 ”のように際立ち、敵を驚かせる効果があるのかもしれず、あるいは、真っ平らに広げた胴体を地面に密着させることで地面と一体化するカモフラージュ効果があるのかもしれない。いずれにせよ、平らに広げた胴体を地面に密着させることには、自らを防御する意味があると思われる。また細い尾端をガラガラヘビのように立てて震わせるのには、敵を驚かせるとともに、攻撃されても影響の少ない尾端を目立たせる効果があると思われ、やはり敵を威嚇・防御する意味があると思われる。
おそらく、マムシといえども幼蛇では敵に対してまだ弱く、敵に遭遇した際にはまずは逃げようとし、それでも敵に攻撃され続け、もう逃げられないとなった時、瞬時にツチノコ( 土の子 )の姿に変身し、自らを防御するとともに敵を威嚇するのであろう。つまり、ツチノコはマムシ幼蛇が危険に遭遇した際に見せる最終防御・威嚇姿勢なのであり、筆者が捕虫網の柄を頭の方から繰り返し振りつけたことがまさに外敵に襲われたのと同じ状況を作り出したと思われるのである。
これらの話は、蛇研究者の間では旧知の事実なのかもしれないが、実際にこの様子を見たことのある人は少ないと思われるので、もしマムシ幼蛇が飼育されている研究施設があるなら、実験的に同じことが再現できるはずであり、どこかで筆者の話を検証してくれないだろうかと思っている。
************
従来、ツチノコの正体に関するものは諸説ありますが、まだ、大勢を納得させるような説は無かったように思います。
そう言えば、一時、ツチノコ捕獲に懸賞金が掛かったとの噂もあったようですが、あの話はどうなったのでしょうね。
その後、ツチノコは荒唐無稽な絵空事に過ぎないとして忘れられた観がありますが、上記、田畑説は素人でも十分に納得ができる点で、今まで知られた数多くの説の中でも、最も有力な説と考えられます。
氏が書かれているように、ヘビ類の専門家による検証が今後行われることを期待しています。
さて、会誌紹介を続けます。
城戸克弥 [ 福岡県のゴミムシダマシ上科 ] は今回掲載した報文の中で、最もページ数の多い(70pp.)大作です。
福岡県内から1920年代以降、ほぼ100年近い間に報告された文献300編余りの記録に加えて、九大に保管されている佐々治コレクション、中條コレクション、それにご自身の標本記録を加えて、
ゴミムシダマシ上科に属するコキノコムシ科17種、ツツキノコムシ科24種、コブゴミムシダマシ科22種、ハムシダマシ科13種、クチキムシ科19種、ゴミムシダマシ科100種、キノコムシダマシ科14種、ナガクチキムシ科44種、ヒラタナガクチキムシ科1種、クビナガムシ科2種、チビキカワムシ科14種、デバヒラタムシ科1種、ホソキカワムシ科1種、オオハナノミ科3種、ハナノミ科59種、ハナノミダマシ科8種、ツチハンミョウ科7種、カミキリモドキ科24種、アカハネムシ科11種、アリモドキ科29種、ニセクビボソムシ科7種の計21科420種について記録されています。
福岡県のこの類の記録が一望できる優れもので、今後、ヒラタムシ上科など他の甲虫の分類群も手がけていかれるそうです。今後も期待しています。
他にも、石割岳採集例会の報告、九州産ハナムグリハネカクシの予報、熊渡山、大津山などの甲虫の採集記録、久留米市内のヒメドロムシの記録、伊豆大島の採集記、沖縄本島のカミキリ採集記等々、軟硬両様、多様な報告が掲載されています。
興味のある方は是非手にとってご一読ください。