バケツを使った水没採集 その6 -春一番はオオズカタホソ-

長い冬の間、流れのハネカクシはどこで冬を過ごしているのだろう、と思いながら、とうとう、腰が上がらなかった。

黒岳は道が凍結しているだろうし、近くの寒水川でも川に流れ落葉が無いのは、目に見えている。

グズグズしながら、♂交尾器を取り出して標本を作ったり、ハネカクシの論文を眺めてみたりしていたら、Elytraに載っているWatanabe(1998)の論文が目に付いた。

Watanabe, Y., 1998. Five new species of the Lathrobium (s. str) nomurai group (Col., Staphylinidae) from Japan. Elytra, Tokyo, 26(1): 85-98.

これは紀伊半島などのコバネハネカクシ(Lathrobium)に関する記載文であるが、♂交尾器の図を見ると、側片(parameres)が付いている側を背面(dorsal view)と表示してある。

待てよ、確か、その4で、背面と腹面はどちらか、という問題で悩んだはずだ。
掲載した本文では、

「ところで、♂交尾器を取り出しながら思ったのだが、Watanabe(1990)などでは、側方に矢筈状に付属するパラメラ(側片)が付いている面がVentral view つまり、腹面と表示してある(図鑑の説明も同様である)。

そのため、以上の説明でもそれに従っているが、腹部から取り出す際、あるいは、死んだ状態で♂交尾器が露出している場合も、ほとんど側片が付いている面が背面側にある。

改めて、腹部を解剖して調べてみたところ、やはり側片の付いている側が背面にあり、メディアン・ローブ(中央片)は腹面側にあって、先端は背面側に向かって湾曲していた。

この配置と湾曲のぐあいは、交尾のやり方を規定しており、多分、流れのハネカクシでは、一般の甲虫に見られる、♂が♀の上に乗る馬乗り型ではなく、お尻とお尻をくっつけ合う逆向き型の交尾型であろうと想像している。

♂交尾器の背面・腹面の判断は、腹の中にある状態を標準に決めるのが普通だと思われるが、ハネカクシでこの呼び方が逆転しているとすると、何か意味があるのだろうか?
ハネカクシ屋さんからご教示いただければありがたい。」

と書いた。

検証してみると、Watanabe(1997)までは、側片(parameres)が付いている側が腹面(ventral view)とされている。
そして、Smetana(1998)でも左右が癒着した側片の付いている側をやはり腹面と表示している。

Watanabe, Y., 1997. Four new species of the Lathrobium brachypterum group (Col., Staphylinidae) from the Hokuriku district, Japan. Elytra, Tokyo, 25(1): 135-146.

Smetana, A., 1998. Contributions to the knowledge of the Quediina (Col., Staphylinidae, Staphylinini) of China Part 10. Genus Quedius Stephens, 1829. Subgenus Raphirus Stephens, 1829. Section 3. Elytra, Tokyo, 26(1): 99-113.

しかし、先に述べたように、同じくElytra誌の、この論文の直前のページに載っているWatanabe(1998)では、まったく反対に、側片が付いている側が背面(dorsal view)とされているのだ。

多分、この頃が、学問的な転換点であったのであろう。
ハネカクシ屋さんの中で、腹面と背面とが、ひっくり返ったのであろうと思われる。

昨年末に虫屋の忘年会をした際に、九大のハネカクシのプロ、丸山さんにこの点を確認したところ、側片が付いている側が背面、とのご教示を得た。

その結果、私自身の背面・腹面の決め方や、交尾型の考察も、あれで正しかったと確信できたので、ホームページのその4の写真説明も、その後、腹面から背面に訂正した(本文は元のまま)。

もう、10年以上も前のことではあるが、学会誌の同じ号の前後で、同じ科の虫の、分類学の基本的な構造である♂交尾器の背面・腹面が真逆に表示されているのを・・・編集されている方も、疑問に思われなかったのだろうか?

それにしても、ハネカクシの背面・腹面は、いつからあの向きになったのだろう?

古典的なSharpとMuir(1912)の♂交尾器の論文でも、当然、ハネカクシの♂交尾器は扱われており、ちゃんと、ハネカクシの♂交尾器の背面は、側片(parameres)が付いている側をそう表示してあるというのに・・・。

Sharp, D. & F. Muir, 1912. The comparative anatomy of the male genital tube in Coleoptera. Trans. Ent. Soc. Lond. part3,: 477-642, (reprinted by Ent. Soc. America, 1969).

さて、先にヤニタケの話でも述べたように、
2009年3月17日には、そんなわけで春を待ちかねて、九重の黒岳まで出かけた。
当日はバカ陽気で、標高800mほどのブナ帯というのに、なんと18℃。

しかし、予想通り、まだ芽吹きにも間があり、木立が裸で林立しているだけで、当然ながら、水際に落葉はない。
陸地に前年の落葉が乾いて溜まっているか、川底に沈んでいるか、である。

(水際には落葉がない)

水辺の落葉を探しながら歩いていくと、岸辺にイノシシのものと見られる糞を見つけた。
新しいのと古いのがあったが、多分、水を飲みに来て催したものであろう。

(イノシシ?の糞)

ほとんど匂いもしないし、ちょっと思いついて、バケツに水を汲んで、この中に糞を投入してみる。
予想通り、糞虫が2種、ネグロマグソコガネ Aphodius pallidiligonis Waterhouseとヌバタママグソコガネ Aphodius breviusculus (Motschulsky)が各1頭ずつ、それからセスジハネカクシがうじゃうじゃ浮いてきた。

ネグロマグソコガネもヌバタママグソコガネも冬の糞虫で、暖かいとはいえ、まだ冬の内らしい。
シカやウシの糞に来たのは見たことが有ったが、イノシシの糞にも来るんだ・・・。

(上:ネグロマグソコガネ、下:ヌバタママグソコガネ)

いっぱいいたセスジハネカクシは、頭の大きさにいろいろあるものの、よく見ると1種らしく、シワバネセスジハネカクシ Anotylus mimulus (Sharp)であるらしい。

(シワバネセスジハネカクシ)

川沿いにしばらくあちこち歩いてみたが、ハネカクシの好みそうな流れ落葉は見られなかった。

また、春先に試みたように、岸辺に水をぶちまけて、大洪水を起こしてみても、流されて水面で蠢いているのは、少数のミズギワゴミムシ類とジョウカイボンの幼虫、そして、ゴミムシ類と思われる触角と肢の長い幼虫のみ。

ヨツメハネカクシ類はまだまだ、どこかに潜り込んでいるものと思われる。

岸や流木などに引っかかって溜まっている数少ない湿気た落葉を、片っ端からバケツに投げ入れて沈めても、
数少ないホソミズギワハネカクシ Derops japonicus (Sawada)とコゲチャホソコガシラハネカクシ Gabrius unzenensis (Bernhauer) 、アロウヨツメハネカクシの近似種 Olophrum sp.が少しいる程度。

流れのハネカクシは出てこない。

(上:ホソミズギワハネカクシ、中:コゲチャホソコガシラハネカクシ下下:アロウヨツメハネカクシの近似種)

ふと、岸辺に、セリが生えているのが見えた。
これに水を掛けたり、水没させてみたりしたが、根際に、マルガムシとヒメゲンゴロウが潜んでいただけで、他のものはいない。

(岸辺に生えているセリ)

落葉が無いとやはりダメだな、と、いよいよ、諦め掛けたところに、そのセリが流されて、流木に引っかかっているのが見えた。

(流されて、流木に引っかかっているセリ)

これにいなかったら・・・と考えながら、バケツの水中に水没させると、黒い虫がスーッと浮き上がる。
いた !!

ヘーッ、こんな時期でも、流れの中に濡れた植物が有れば、いるんだ!!

青々と、生のセリで、まだ、枯れてはいないのに。
水中に生えているセリにはいないのに、ほとんど変わらない、流されたセリにはどうしているんだろう?

不格好、または、モンスターと言っていいほど、頭でっかちの奴が大部分で、よく見ると頭の小さい奴も少しいる。
しかし、これらはどうも、1種のようだ。

(オオズカタホソハネカクシ 上:♂、下:♀)

3月半ばの早春という時期もあり、オオズカタホソハネカクシ Philydrodes hikosanensis Nakane et Sawadaだろうと、ピーンときた。

頭の大きいのが♂、小さいのが♀で、♀はごく少なかった。
この時期は出始めなのかほとんど♂ばかりで、まだ体も柔らかく、足など色も淡い。

かつて、本種を、1982年の今日、つまり、3月17日と、4月15日に、黒岳の同じ川岸で、昆虫巡査の佐々木君が多数採集している。
その標本を、私もかなりの数おすそわけに預かって、保管している。

佐々木(1985)は、「男池手前の川岸の水辺に-中略-5月上旬まで沢山見られたが、夏には同じ場所にはいなかった。」と書いている。

佐々木茂美, 1985. 黒岳の甲虫(その2). 二豊のむし, (13): 1-17.

本種はもともと、英彦山産を基に記載された種であり、種小名がそのことを示している。

本種が含まれるPhilydrodesには、国内で30種ほど知られており、中でも、本種同様、♂の頭が著しく拡大するPhilydrodes亜属の種だけでも、各地に10数種が知られている。

九重山産が、英彦山産とまったく同じかどうか気になって、後日、伊藤さんに見て貰った。
結果、黒岳産の♂交尾器は、英彦山産の原記載によく合うそうである。

(オオズカタホソハネカクシ♂交尾器、上:背面、中:腹面、下:側面)

結局、3月中旬の黒岳では、流れのハネカクシは、オオズカタホソハネカクシだけしか見つからなかった。

さて、実は昨年、その5で、英彦山の中腹、山国町小瀬戸の谷にある大堰脇のしみ出し水の落葉から、既に大頭のカタホソハネカクシ属 Philydrodesを見つけたことを、報告しておいた。

採集時期は、春のゴールデンウィークの最中で、ちょうどシイの落葉が溜まっていた。

Lestevaなど、他のヨツメハネカクシはいろいろ見られたが、Philydrodesは♀が数個体見られただけ。

当然オオズカタホソと思いながら、♂交尾器が確認できず、種が確定できなかった。

さらに、秋季の11月13日にも同地を探したが、しみ出し水の落葉には、本種を初め、どんなハネカクシも見つからなかったことを報告した。

それで、さらに今年4月10日に、今ならまだ、♂がいるに違いないと、確認に出かけた。

山国町小瀬戸の谷の大堰脇には、いつものように滲み出し水が流れており、散り始めた常緑樹の落葉がパラパラと見られた。

(上:滲み出し水の落葉、下:側溝内に溜まった落葉)

全部の落葉をかき集めて、バケツに投入したところ、目的の虫が1♀だけが見つかった。

すぐ脇の側溝内にも、落葉やツバキの花が溜まっていて、ここから、2♀。
まだ、ゴールデンウィークには間があるというのに、もう、♂には遅いのか?

そう思いながら、堰に乗り上げて溜まったわずかの落葉をバケツに投入し、やっと、1♂4♀をゲット。
これで種が確定できた。

(山国町小瀬戸産オオズカタホソハネカクシ、上:♂、下:♀)

他に、黒いGeodromicusが大小1♀採れたが、当然種名は不明。
やはり、落葉のない川では流れのハネカクシは狙えない。

(Geodromicus)

オオズカタホソハネカクシは、落葉の無い早春の内に出てきて、落葉が集まり出す5月初めには、♂を始めとして姿を消してしまう種のようで、いったい、どこが彼等の本来の住処なのだろうか?

佐々木君が観察したように、早春に、岸辺をじっと見つめているしか無いのだろうか?