「あんた見のがしてるわ」−横山創さん逝く

先日、奥様より喪中欠礼のハガキが届き、横山創さんが11月25日に逝去されたことを知りました。謹んで哀悼の気持ちを述べさせていただます。

1970年に、私はカミキリ採集を始めました。大学1年の春のことです。

前年の夏発行されたばかりの「原色日本昆虫生態図鑑Iカミキリ編」を頼りに、誰にも教わらずに、3段のサオと小さなスプリングワクのネットを持って、大学の授業の合間を縫って、カミキリ採集に走り回りました。

最初に会った虫屋は水沼氏・京都北山の杉峠でのことです。次いで、伯耆大山で会った松永氏、トゲムネミヤマカミキリの縁で知り合った水野氏、水沼氏宅で紹介された正木氏、これらの人々から採り方や採集地を教えていただきました。

1971年も引き続き、奈良春日山、京都北山、伯耆大山、大菩薩峠と採集に回り、行く先々で多くの虫屋さんと会い、カミキリ採りをマスターしていきました。
そして、夏には交換学生としてアメリカのテキサスとシカゴを訪れ、40日間のホームステイの期間中、ヒマさえ有れば虫取りをしていました。

正木氏にアメリカのカミキリの同定をお願いできそうな人を尋ねたら、「大阪に横山さんという、すごい虫屋さんがいるので、そこにお願いに行ってみよう」ということになりました。横山さんのお名前は、先のカミキリ図鑑にも謝辞として名前が載っており、よほど凄い人らしいと、身構えたのを覚えています。
(若き日の横山さんの採集風景・沖縄?)

1972年2月13日、正木氏と二人、京都からいくつか電車を乗り継いで、生野区の古い町並みを通り抜け、ある通りの角にある横山さんの自宅にたどり着きました。
付近は昔の女郎屋さん街の跡という話で、一種の雰囲気がありました。

玄関の引き戸を開けて入ると、若い女性にすぐ奥の応接間に案内され、ソファーに腰掛けて、横山さんと対面しました。
横山さんは、40年配の黒シャツに同系のネクタイ、頭を七三分けにしてサングラスを掛けた小柄な紳士で、それでも、なんとなく、胡散臭げな感じがしました。
案内してくださった女性は奥さんと言うことで、私たちより少し上くらいに見え、やはり虫屋で、コメツキをやっていらっしゃるそうでした。虫のご縁で結婚されたように伺いましたが、何か、まったく想像できないような組み合わせに思えました。

同時に杉野氏も来て、一緒にお話を伺ったことから、正木→杉野→横山さんという流れで、その日の訪問が決まったのかもしれません。

横山さんの仕事はバイオリニストで、交響楽団などに招かれてコンサートの度に助っ人を頼まれ、通常は自宅で個人レッスンなどを教示されていると言うことでした。

私は、長崎の田舎の出身で、数年前から京都の学校に出てきておりましたが、横山さんが住んでいる町の雰囲気や、聞いたこともない職業、カミキリの大家、という組み合わせに、ただただ恐縮して話を聞いておりました。

横山さんは、吾々カミキリ初心者の学生を前に、珍品の採集経験を面白おかしく話して下さいました。

しだいに、実際の虫の話になると緊張も解け、あつかましくも、持参したアメリカのカミキリの同定と、この2年間に採集した国内産カミキリの不明種の同定をお願いしました。

国内産は、即座に、杉峠のヒトオビチビカミキリ、大山のヒメハナカミキリ(当時のmutata)、大菩薩のシラネヒメハナカミキリと同定していただきました。

しかし、アメリカ産はそういうわけにはいかないということで、お預けして、その後、次の訪問の際に同定ラベルをつけて返していただきました。
その時の標本は今も手元に大事に保管しています。

応接間の横山さんご自身が座られた場所の背面は、全て標本戸棚で、お願いして開けて頂くと、本のように小型のインロー箱がギッシリ立てられており、次々に中を開けて、外国産の美麗種やら、国内産の珍品やら、次から次と見せていただいて、すっかり圧倒されてしまいました。

次に出かけたのは同年の11月2日。
この年は、春日山、御坊、松ヶ崎山と近傍で珍品を採集し、次いで、平湯、大菩薩、奥日光、北海道と、国内の北方はあらかた行きつくし、いっぱしのカミキリ屋になったつもりになっていました。

来年は沖縄が日本に返還になるとばかり、沖縄遠征を計画して、琉球のカミキリ採集の先駆者・横山さんから採集情報を引き出そうとばかり、出かけたわけです。この日は正木・杉野の両氏に加え、畑山氏も駆けつけてにぎやかになりました。

日本産としては横山さんしか採っていない与那国のキマダラヒメミヤマカミキリや、灰緑色に光る西表島のムネモンウスアオカミキリなど、まだ見ぬ南国の想像を絶する珍品の話に、ワクワクしながら、翌年の計画を練っていました。

横山さんはカミキリ話の合間に、与那国島にはすごい毒蛇がいるだの、西表島のハブに喰われたらすぐに死んでしまうだの、恐ろしげな話を繰り返し、南の島の情報が皆無の新人虫屋は、カミキリは取りたしヘビは怖しで、ずいぶん複雑な思いをしたものです。

虫の話は深夜に及び、いいかげんな時間から奥さんを加えて、マージャンが始まり、徹マンになってしまいました。
私は眠いのとマージャン慣れしていないのとで、早々に交替して貰い、一人で勝手に標本箱を引っ張り出して、次々に見ておりました。

翌年春、杉野氏と二人で石垣島を皮切りに採集した折りは、まだ、この時の呪縛がきいており、林や藪のみならず、見通しの良い畑を歩くときも、おっかなびっくり足下を見ながら、虫取りをしていました。

その後、「横山さんしか採っていない与那国のキマダラヒメミヤマカミキリを、是非採りにたいから与那国島へ出かける」と言って、同じ民宿に泊まり合わせた虫屋連中から、さんざんバカにされました。
しかし、数日後、実際に横山さんのご教示どおり、1個体だけでしたが採って帰ってきたときには得意満面で、みんなをギャフンと言わせることができました。

与那国はハブはおろか、毒蛇と名のつくものはまったく生息しておらず、石垣や西表のサキシマハブは咬まれても奄美・沖縄のハブのように、死に至ることはほとんど無い、ということを知ったのは、遠征も後半に入ってからでした。

ようよう横山さんのウソと真実の両方に気が付いたわけです。
沖縄から帰って、そのことで横山さんに抗議したら、「それくらい、注意した方が良いということや」で、片づけられてしまいました。

横山さんは、その頃大阪で始めたカミキリ屋のサロン「イモの会」にも、時々出てこられて、持参したカミキリを見ていただいたり、相変わらず、本当か嘘か解らないような話を伺いました。

横山さんがAさんという若手と、花に集まる虫を掬いに出かけたときの話。

横山さんは短いサオを持って、現地では花の下に腰掛けて、ただタバコをふかしていただけだったそうです。

Aさんは長いつなぎ竿をかかえて、土手の上まで登り、一番虫の採れそうな日当たりの良い花を必死で掬ったそうです。

ひとしきり虫を採って戻ると、横山さんはまだ腰掛けたままで、「あれも採れました、これも採れましたた」と言って毒ビンを見せると、「こっちもいたよ」と言って、倍以上虫の入った毒ビンを見せてくれる。

Aさんは不思議に思いつつも、ムキになってまた元の場所に戻って長ザオを振るう。戻ってきて横山さんを見ると、たいして動いてそうもないのに、毒ビンには虫が一杯。

そんなことを2-3回繰り返した後で、Aさんも頭に来て種明かしを求めると、「あんたが上で揺すってくれんと、こっちも採れんから・・・。」
Aさんが花を揺すって、振動で落下した虫たちを下で待ってて、ヒョイヒョイと掬っていたというお話。

実際の採集にも、一度だけコブヤハズ取りにご一緒したことがあります。

その時は、倒木やら枯れ木やらかたまって有る場所で、さんざん見て1匹も採れずに通り過ぎた後で、後から歩いてきた横山さんに、「あんた見のがしてるわ」と言われて、でっかい♂を目の前で採られてしまいました。

天性の虫取りの勘は、すばらしいものを持っていらっしゃったのでしょう。
私が通り過ぎた直後に見つけて、おまけに、若い者をからかって・・・、サングラスの奥で目が笑っていたように見えたのも、いかにも、横山さんらしい感じがします。

その後も機会があるごとにご自宅を訪問し、楽しく虫の話を聞かせていただきました。

特に、郷里に戻ってからは、毎年、変わらず賀状を下さり、初冬の甲虫学会に出向いた折など、畑山氏などと語らって、訪ねたりもしました。
ここ10年あまりは、持病の肺気腫が悪化され、インロー箱も開けない状態が続いたようで、訪問も差し控えておりました。

なお、横山さんの業績として、日本産甲虫のリストをチェックすると、以下のようなものが見受けられます。

横山創さんが記載された種
1. ホソカミキリ屋久島亜種 Distenia gracilis yakushimana Yokoyama
2. ヤエヤマヒオドシハナカミキリ Paranaspia yaeyamensis Hayashi et Yokoyama
3. アメイロカミキリ琉球亜種 Stenodryas clavigera iusularis Yokoyama
4. ミドリヒメスギカミキリ Palaeocallidium kuratai Yokoyama
5. ヤクシマキスジトラカミキリ Cyrtoclytus caproides kamakarii Yokoyama
6. カスリドウボソカミキリ沖縄亜種 Pothyne variegata ryukyuana Yokoyama
7. セダカコブヤハズカミキリ南紀亜種 Parechthistatus gibber nankiensis Yokoyama
8. ビロウドカミキリ屋久島亜種 Acalolepta fraudatrix yakushimana Yokoyama
9. イシガキフトカミキリ Peblephaeus ishigakianus (Yokoyama)
10. トカラヤハズカミキリ Uraecha gilva gilva Yokoyama
11. サキシマコブヒゲカミキリ Rhodopina sakishimana Yokoyama
12. トカラコブヒゲカミキリ口永良部島亜種 Rhodopina tokarensis orientalis Yokoyama
13. ホソツツリンゴカミキリ屋久島亜種 Oberea nigriventris michikoi Yokoyama(現在は、ホソツツリンゴカミキリ Oberea nigriventris Batesのシノニム処理されている)

横山創さんに献名された種
1. ヨツスジハナカミキリ屋久島亜種 Leptura ochraceofasciata yokoyamai Hayashi
2. ヨコヤマシラネヒメハナカミキリ Pidonia obscurior yokoyamai Hayashi(現在は、Pidonia obscurior hakusana Ohbayashi et Hayashiのシノニム処理されている)
3. カノコサビカミキリ屋久島亜種 Apomecyna naevia yokoyamai Hayashi

横山さんの記載は大部分が1966〜1971年で、ご自身としても、出会った頃がいちばん、カミキリ研究にも油が乗っていらした時ではなかったかと思います。

横山さんの1971年の記載論文と付図

                        横山さんの1971年の記載論文と付図

奥さんのお話では、ご本人の遺言で、標本は全て大阪市立自然史博物館への収蔵を希望され、初宿さん、水野さんのお二人のお世話で、既に博物館の方へ納められたそうです。館では数年掛けて整理をされるようです。

横山さんが収集されたホロタイプを含む貴重な標本は、半永久的に保存されるようです。