アオハムシダマシ属をめぐって(その2)

大学卒業間際、沖縄が本土復帰になり、手ぐすねを引いていたカミキリ屋は我先に琉球列島を目指した。

これに遅れじと、早春から石垣島を皮切りに琉球列島を北上した。

沖縄本島の北部では与那覇岳の伐採地まで、急傾斜の悪路を伐採トラックの荷台に便乗して延々と採集に出かけた。シイの花には初めて見るカミキリたちが群がっており、それに混じって、アカガネハムシダマシに似た色とりどりのハムシダマシが多数這い回っていた。

これらの個体はやや細長く、太短いアカガネハムシダマシとは、一見して別の種に見えた。

次いで訪れた奄美大島八津野でも、同様にシイの花に群がっていた。大図鑑にはアマミアオハムシダマシとして、奄美大島の分布だけが載せられていたが、沖縄のものも同じ種だと思った。

台湾のアオハムシダマシ類

大学を出ると、家業の呉服屋を継ぐ準備として、いわゆる丁稚奉公にやられ、問屋に入社した。

問屋では検品や出荷、レジなどを通じて商品知識を吸収した。実家は永年この問屋と取引関係があり、内情を詳しく知られたくない問屋側の都合で、3年の約束が1年に短縮され、翌春には退社することになった。

これは好都合とばかり、一年間の丁稚暮らしで蓄えた貯金をはたいて、沖縄→台湾→沖縄→北海道と、100日間虫採り放浪に出かけた。

台湾では、ビル街の雑踏の中、自分とさほど違わない黄色い顔をした多数の人に囲まれて、それでも言葉の通じない孤独を味わった。

そのくせ、紅頭嶼の原野や、中部山地の山林では、上半身を露出したあやしい身なりの人から突然聞き慣れない日本語で話しかけられたりした。

図4採集地として有名な中部低山地のシイの花には信じられないくらい多数のカミキリたちが飛来していたし、川沿いの採集人のトラップには無数の蝶が羽を震わせ吸水しながら林立していた。

延々と長時間バスにゆられて、標高2000mの高地まで登って行っても、まだ常緑広葉樹林が広がっており、白っぽいシイの花にはカミキリ類と共に色とりどりのハムシダマシが多数飛来していた。

台湾産は日本産と比較すると、大型で細長く、赤銅色や銅緑色などのややくすんだ色のものが多く、日本産のような輝く赤紫色や金緑色のものは少なかった。

つづく